シーズンオフやレースの合間などで、時々、会社(当時はイーグルジャパン)に遊びに来た原田選手は、作業中のスタッフにどーも゛と、あの高い声で声をかけ、そのまま資料用としてストックしてある膨大なレース雑誌を何時間も見ていった。
別に何をしに来たわけでもなく、ただ本を見ていた。ほとんど彼の図書館のようだ。 またあるときは自分が千葉の某デパートに買い物に言った時など、エスカレーターの踊り場付近で順番を待っていると突然後ろから膝カックンをされた。誰だと思ったら原田夫妻であった。
またすごく律儀なところがある。97年にヘルメットのデザイン変更をし、こちらの担当では無くなったのだが、後頭部に入っているネームデザインは、引退するまで引き続き使用していた。またレーシングスーツ、マシンのスクリーンなどにも統一して使用して頂いた。
2002年の引退後にMFJの年間表彰式でお会いした時、その話をさせてもらったが、その時も丁寧にお礼を頂いた。クールなイメージの実は暖かい人である。
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'94ライディングスポーツ
N0132 1月号 表紙 |
93年WGP125坂田和人選手ランキング2位
同年WGP250原田哲也選手チャンピオン。 |
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