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'94
ライディングスポーツ
No137 6月号 NOBBY 表紙 |
94年はWGP全クラスでトータル14人もの日本人ライダーがエントリー。
序盤戦から日本人が大活躍。 |
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91年の日本GPで衝撃的な優勝を飾った上田昇選手(ノビー)は当然のようにこの年、GPへフル参戦を開始した。
この年といえば坂田、若井とともに3人のライダーが揃ってGPにエントリーした年である。
レースの世界に関わるようになり、自分の仕事も認められつつあった時期でもあり、とてもワクワクしたシーズンだった記憶が残っている。
というかレース界全体が大変盛り上がっていた。
参戦初年度ランキング5位で終えたノビーは翌年電劇的な移籍をする事になる。
なんと当時125のチャンピオンチームであるチームピレリに所属する事になったのである。
チームの本拠地はイタリア、スタッフも全員イタリア人。
かつて日本人でこんな形でのエントリーはなかったのではないか。
言葉の壁、生活習慣の違いなど不安要素は多い。
しかしノビーにそんなことは全く関係がなかった。
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